グッドモーニング マグダーリン
暗闇。
白い植木鉢に大きな赤い花が咲いている。
「えー、彼女の名前はマグダーリン。
彼女はまるで太陽のようで、
世界一、美しく、
世界一、光に満ちています。
彼女は僕が五歳の誕生日の日に僕の父親が買ってきてくれた花です」
僕の生活するこの世界は同じところをぐるぐる回るメリーゴーランドのような世界。
それは七日間かけて一周してまた同じところをぐるぐる回っている。
メリーゴーランドほど華やかではないけれど、
無駄に希望に満ちている所など、それにそっくりだ。
そんな毎日はまるで絶望に満ちているけれど、
僕にはマグダーリンがいた。
彼女は本当に美しい。
その美しさのためなら、僕は死んでもいい。
死ぬということが僕にとってどれだけの意味を持っているのかはわからないけれど、
それくらい彼女は美しい。
「マグダーリン。
どうして、君はそんなに美しんだい?
マグダーリン。
どうして、君はそんなに澄んだ目をしてるんだい?」
マグダーリンは答えない。
僕の一週間の大部分を占める僕の仕事はいたって単純だ。
右にある文字だけの文章を僕の中の引き出しにあるいくつかの飾りと、いくつかの並べ方を組み合わせて遠くからも見やすいように作り直して左に置けばいい。
時々、左に置いたモノをまた右に戻されることがあるけれど、
そうしたら、別の組み合わせをして左に置いてあげればイイだけの話で、
その作業はいたって単純な作業だった。
それが五日続いて二日空く、
そうしてメリーゴーランドは一周して、また同じところを回り始める。
「おまえ。
どうして、そんなことを続けているんだい?
おまえ。
どうして、それをきちんと見つめないんだい?」
僕は、それに答えられない。
時々、こんな映像が頭の中を埋め尽くす。
そこは広い草原で、
そこに高い塔があってそのてっぺんには鐘があって、
その鐘が鳴り響いている。
僕はその塔を背にして草原の真ん中にマグダーリンといる。
鐘の音は鳴りやまず、僕はその鐘の音を不快に感じるのだけれど、その塔の鐘を見ることが出来ずにマグダーリンだけを見つめ、いつかその鐘が鳴りやむのを待っている。
それは僕が仕事をしてる時や、
スポーツジムで汗を流してる時や、
コーヒーをのんでくつろいでる時に
突然やってきて、僕が何も考えられなくなるくらい一瞬にして僕の頭を埋め尽くす。
そんな時は、何も手に付かなくなり、
何もせずに、それがひくのをじっと待ってやり過ごさなくてはならなくなる。
最近はそれがやってくる間隔が狭まっている。
それでも毎日は平坦に過ぎていって、それが僕の範疇を越えることはなかった。
時々、そんな苦痛はやってきたが僕はその毎日をマグダーリンとともに過ごしていた。
その日も仕事は予定通りに終わり。明日から休みだった。
今までの生活通り
いつもの一日が終わって、いつもの一週間が終わろうとしていた。
夜はいつものようにやってきて、駐車場の外灯もいつものように駐車場を照らしていた。
何も変わらない。
いままでメリーゴーランドの速さが狂ったことや道をそれたことや壊れた事なんて一度もない。
同じところをぐるぐると同じ速度で回り、
ぐるぐるまわるここから見える景色も変わることはなかった。
これからも、それがずっと続いていくだろうと思っていたし、
それが自然で、それが当然だと思っていた。
だけど、そうじゃなかった。
その日、僕の前にフライトジョニーが現れた。
アパートの僕の部屋のドアの前に彼はいた。
僕を待っていたのだ。
彼は言った。
「今日の夜は美しいね。
とても美しい…
まるで彼女のためだけにあるようだ…
この夜は美しい彼女をさらに際立たせてくれる
そうは思わないかい?」
僕の背筋に寒気が走った。
彼の手にはマグダーリンがいたのだ。
「この夜にまたたく小さな輝きは
彼女に比べればゴミに等しい、
それが今まで美しいと思っていた自分が恥ずかしくなる…」
彼は自分の言葉に酔いしれるように、遠くに目を向け、そう言った。
「あなたは、
誰ですか?」
僕は何がなんだかわからず、その言葉をするのがやっとだった。
とにかく僕は、彼の手にあるマグダーリンが気になってしかたがなかった。
何故、彼はマグダーリンを手にしているのか?
彼はいったい何なのか?
いったい、この状況はなんなのか?
メリーゴーランドは暴走を始めた。
「わたし?
いい質問だね。
うん、まず私のことを尋ねたのはとてもいいことだよ…
よくいるんだ。私の事なんてそっちのけで話を始める輩が、
それは良くない。
まず名乗り会うのが礼儀ってもんだ…
いや、失礼
私の名前はフライトジョニー」
「いや、」
「うんうん、
いやいや、大丈夫だよ、
私は君のことは知ってるから、
だから、君は私に名乗る必要なんてないからね…
それは時間の無駄だ。
時間は大切だよ。
無駄に浪費するのは良くないことだ」
「いや、名前じゃなくてですね。
何故、マグダーリン…いや、
その花をもっているのですか?
それは僕の花だ」
僕がマグダーリンを見間違えるはずなんてなかった。
彼が持っているのはまぎれもなくマグダーリンだった。
「うんうん、
それもいい質問だ。
的を得ていて、実に無駄がない。
うん、いいね。うん
マグダーリンで大丈夫だ。
彼女の名前はマグダーリン…」
そう言って彼は手にしたマグダーリンを見た。
「それも私は知っているから。
大丈夫、そんなに僕に気をつかわなくたって
私は何でも知っているんだからね…」
「いや、」
「ちっちっちっ、
まだ話の途中だよ。
人の話の途中に割り込むのは、非常に良くないことだ。
ほら、もっと落ち着いて、
答えを急ぐ気持ちはわかるけど、
それは良くない、
それはまず理解力を欠くし、知るべき情報も見逃してしまうからね」
そう言って彼は同意を求めるように僕を見た。
「わかりました。続けてください」
僕がそう言うと彼は満足したように、また喋り始めた。
「うんうん、
非常にいいよ。
うん、非常にいい…
まず彼女、マグダーリンは誰のものでもない。
たまたま君のところに、いたっていうだけで、
彼女が君のものだと、ただ君が決めつけているだけなんだ…
それに私は彼女に呼ばれて来た。
君は彼女にいろんなものを求めすぎている。
わかっているんだろ?自分でも…
彼女は美しい、
しかし、それは美しすぎるんだ。
君にはすぎた魅力だよ。
君はずいぶん彼女を見続けているようだけれど、
彼女がどれだけ美しかろうと、
君は君。君は何も手に入れられないし、
君はどこにも行けはしない…」
僕は口を開こうとしたけど、やめた。
「うん、
君は
何かを手に入れる必要があるわけじゃないし、
何処かへ行く必要なんて無い。
そうだね…
その通りだ」
僕の言おうとしたことがわかったように彼は言った。
「だけど、
君がどう思おうとも、
君は何かを手に入れ、
君は何処かへ進んでいるんだよ…
それが、
生きているってことなんだ。
君だって、本当はわかっている。
ただそれを見つめるのに億劫になっている…
わかるよ、誰だってそれを見つめるのは怖い…
彼女は君にとってその代わりの偶像にしかすぎない。
それは君にとって都合がいいだろう…
けれど、
そうじゃない、
本当は君にとって、都合が悪いんだ…
彼女は君のことが好きだ。
だから、今までずーっと君のそばにいた、
だけど、それは君にとって良くないことなんだ、
それを彼女はいつも気にしていた。
そして、今日君のところから去ることにしたんだよ…」
「あの、」
僕は何か言おうとしたが、
それを遮るように彼は続けた。
「彼女だってつらいんだよ。
君は自分を見つめなくちゃいけない。
彼女、マグダーリンがいてもいなくても
君は君なんだ、
何も変わらない。
彼女に夢を見ていたって君は何も変わらない。
彼女がいなくなっても君は何も変わらない。
それを君は受け止めなくてはいけない。
君は変わらなくてはいけない。
彼女と離れなくてはいけない。
そして、彼女はそれを望んでいる。
だから、私がここにいる。
君はマグダーリンと離れなくてはいけない…」
彼は言うべきことは終わったといったように、僕を見た。
「ふざけるなっ!!
おまえにマグダーリンの何がわかる!!
でたらめぬかすんじゃないっ!!
マグダーリンがおまえを呼んだ!?
ふざけるのも、たいがいにしろっ!!
フライトジョニーだとっ!?
勝手に人の部屋に入って何を偉そうなことを!!
とにかくマグダーリンをかえせっ!!
ふざけるなっ!!」
こんなに感情的になったのは僕の人生の中で初めてのことだった。
マグダーリンを連れ出そうとしたことよりも
マグダーリンのことをわかったようなことを言われたのが腹が立った。
僕はマグダーリンのことを誰よりもわかっているし、
誰よりも大事にしている。
それをまるで僕よりマグダーリンのことを知っているような顔をして話されるのが腹が立つ。
彼はそれを聞いて、悲しそうな表情で僕を見た。
「なんだっ、その顔は
僕はそんなに愚かで、
かわいそうかっ!!
おいっ!!
何とか言ったらどうだっ!!」
彼はなお、僕のことを悲しい顔で、まるで肉食動物にたべられる草食動物を見るような目で僕を見た。
「君の気持ちは痛い程わかるよ…
だけど、これはもう決まったことなんだ。
彼女、マグダーリンは君の元から去ることを決めたし、
私もそれを手伝うことを決めた。
それに君の事情なんて関係ないんだよ。
だけど、君はその理由を知る権利があると思ったし、
私はそれが必要だと思ったから
あえて、君を待っていたんだ…
本当なら、
君の知らないところで
君の知らない間にマグダーリンを連れ出した方が無駄が無くてよかったんだ…
君のためにこんな話をしたんだよ。
悪いけれど、
これ以上君に関わっているわけにはいかない…」
そう言って彼はスーツの内ポケットにマグダーリンを持っていない方の手を入れた。
そして、
彼は僕に真っ黒いピストルの銃口を向けた。
そして、
引き金は引かれた。
その銃口から飛び出した弾丸は僕の頭を貫き、
僕の世界は真っ暗になった。
その時、彼は、フライトジョニーはこう言ったのだった。
「君の気持ちは、
ほんとうに、痛い程わかるよ。
何故なら、私は君自身なのだから…
でも、しかたがないんだ。
これはマグダーリンと君が決めた、
一緒に決めた最良の選択なんだから…
でも、マグダーリンは消えるわけじゃない。
この花の形はかりそめの形で、
君の中にだって、マグダーリンがいるんだ。
美しい、
世界一美しいマグダーリンが
君の中にいる。
今はマグダーリンが見えなくなるけれど、
いつか必ず、またマグダーリンが見えるようになるよ…」
フライトジョニーは夜の中に消えていった。
暗闇。
ここから、何が見える?
ここから、何を感じる?
ここから、何処へ行ける?
メリーゴーランドは消え去った。
僕の前には長い長い道が続いている。
この道の先に何があるかはここから見ることは出来ない。
それは僕が決めることなのだろう…
僕は、何を見たいのか?
僕は、何を感じたいのか?
僕は、何処へ行きたいのか?
相変わらず希望の光はとても小さくそれを信じるには暗すぎるけれど、
その光はとても心地よかった。
目が覚めると、そこは僕の部屋だった。
そして、
マグダーリンが枯れていた。
僕の前で二十年以上咲き続けていたマグダーリンは枯れていた。
きっとフライトジョニーが連れて行ったのだろう。
あれは夢じゃない。
マグダーリンは僕のところから去ったのだ。
暗闇の中でフライトジョニーが言った言葉。
マグダーリンは僕の中にいる。
そうなのだろうか?
この道を進めば、
この先で僕はマグダーリンに会えるのだろうか?
五歳の誕生日の日、初めてマグダーリンに会ったときのように、
また、
マグダーリンに会って挨拶が出来るだろうか?
「グッドモーニング マグダーリン」
copyright(c)Suzuki.all rights reserved.